龍馬の幕末日記52: 会社の金で豪遊することこそサラリーマン武士道の鑑

2021年02月23日 06:00

※編集部より:本稿は、八幡和郎さんの『坂本龍馬の「私の履歴書」』(SB新書・電子版が入手可能)をもとに、幕末という時代を坂本龍馬が書く「私の履歴書」として振り返る連載です。(過去記事リンクは文末にあります)

中江兆民 Wikipediaより

ところで、このあたりで私の個人的な趣向についても紹介しておこう。

土佐人らしく酒は相当にいける方だった。のちにお龍は「量り知れず」といい、1升5合の酒を一気飲みしたと証言している。

ヘビースモーカーでもあって、のちに自由民権かとして名をなした中江兆民は、長崎留学中に私から「煙草を買っておーせ」などと使いを頼まれたといっている。このうるさ型の少年も私からの頼みには嫌な顔もせずに走ってくれたが、ものを頼むのが上手なのは私の特技だ。

好物といえば鶏だ。暗殺事件の夜も軍鶏を買いにいかせたのはよく知られているが、その2ヶ月前に長崎から土佐へ行く途中、玄界灘に浮かぶ大島で風待ちをしたとき、島民が鶏を捌いてくれないので、藤八拳で負けた陸奥宗光に料理させたこともある。

志士たちの常で、色街で豪勇するのは大好きだった。いまなら、裏金で遊んだとか、官官接待の常習犯だとかいわれそうだ。長崎では岩崎弥太郎にさんざんたかったし、佐佐木高之あたりも、丸山で飲んでいて「これから財布もって来ない」と誘うことがあり、そんなときは、やれやれという顔をしつつもやってきて一緒に楽しんだ。

といっても、仕事を忘れて遊びほうけていたのではない。私をいまでいうクリーンな倫理観の持ち主だなどと誤解して尊敬する人にあげてもらうのは誤解だから願い下げにしておくが、当時の常識の範囲だったことはささやかに弁解しておく。

江戸時代というのは、武士が仕事で相当な業績を上げても給料はなかなか上がらないが、交際費での飲み食いなどフリンジベネフィットで埋め合わせていたのだが、この悪習が、現代のサラリーマン社会にも引き継がれてしまった。

やはり、評価されるべき仕事をすれば、給料が上がるとか、特別ボーナスが出るというのが本来の姿だとは思うが、そういうのは、江戸時代の武士道には反する。武士道とは現代のサラリーマン道と同じく、サラリーを上げるより社用族になることこと楽しみなのだ。そのあたり、「算盤と論語」とか書いて武士道を会社運営に持ち込んだ渋沢栄一とかいうひとの遺産であろうか。

慶応2年の7月の下旬には土佐から後藤象二郎が長崎に派遣されてきた。あの吉田東洋の甥であり、私にとっては仇のような存在だったのだが、のちにこの男が私の人生にとっても大きな意味をもつことになる。

後藤象二郎 Wikipediaより

このころから私は長崎での本拠を豪商小曽根英四郎のもとに置くことになった。英四郎が大坂町奉行から長崎奉行に届ける手紙を託されていたことから、幕府の隠密と間違えられて長州で捕まったのを助けたことが縁となったのである。

このころお登勢も長崎にいたが、心配は彼女の家族のことだ。寺田屋のお登勢が母親の面倒を見てくれているので、「めちゃくちゃで物わかりの悪い人ですがよろしく」と書き送った。

お登勢 Wikipediaより

亀山社中の経営の方は、プロシャ商人チョルチーから船を買ったり、五代友厚と下関に薩長合弁商社を創らせようとしたりいろいろ仕掛けたが、なかなか経営はうまくいかず、薩摩からは一人あたり月給3両2分をもらったりしていたものの、困窮が続いた。

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評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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