龍馬の幕末日記91:ついに龍馬暗殺

※編集部より:本稿は、八幡和郎さんの『坂本龍馬の「私の履歴書」』(SB新書・電子版が入手可能)、『「会津の悲劇」に異議あり【日本一のサムライたちはなぜ自滅したのか】』 (晋遊舎新書 S12)をもとに、幕末という時代を坂本龍馬が書く「私の履歴書」として振り返る連載です。(過去記事リンクは文末にあります)

坂本龍馬 Wikipediaより

坂本龍馬が会津藩に恨まれていたがゆえに、新撰組か見廻組に襲撃されることは、誰しもが予想していた。いちばん、見通しが甘かったのは、永井尚志と直接に交渉できるようになって舞い上がっていた龍馬本人だけだったかもしれない。

現場の経緯のこまごまとしたことは、そんなに重要であるまい。むしろ、骨格だけを説明しよう。

それでも、近江屋の2階の3つ目の部屋にいる以上は、階下で騒ぎがあれば、刀を抜くとか、窓から飛び出して逃げて土佐藩邸に救いを求めることはできるはずだった。

しかし、運悪く騒ぎにもならずに3名ないし4名の見廻組隊員が龍馬の部屋に白刃を振りかざしてと見込んできた。

龍馬は先に斬られた藤吉の声を聞いて、「ほたえるな」という土佐弁を発しただけだった。「なに騒いでいるのか」といった程度の話だ。

あとは、龍馬も中岡慎太郎も、刀を抜くことすらできずに鞘のまま応戦しただけだった。龍馬は前頭部を刀で払うように第一撃を受け、後ろを向いて刀を取るときに右肩から斬られ、振り向いたときにまた前頭部を切られた

中岡はあちこち斬られて、倒れて死んだふりをしたらしい。それを見て、「もうよい」といいながら引き揚げた。

龍馬は「慎太、ボクは脳をやられたからもうだめだ」といい倒れ、中岡は物干しに出て人を呼ぼうとした。

近江屋の主人である新助は裏口から出て土佐藩邸に急を知らせ、また、軍鶏を買いに出ていた峰吉などがもどり、さらに、中岡の指示で峰吉は、現在の京都大学のキャンパスにあった陸援隊に急を知らせた。

こうして谷干城、田中光顕、それに薩摩の吉井幸輔らも集まってきたが、龍馬は事切れていて、中岡慎太郎は苦しみながらも一部始終を説明している。しかし、その慎太郎も翌々日の夕刻に死んだ。

陸奥宗光ら在京の海援隊士が知らされたのは、翌16日の早朝。さっそく大坂へ使いが出され正午頃には知らされ、すぐに上洛した長岡謙吉らが近江屋についたのは17日である。そして、土佐藩邸の指示によりその日の午後8時には洛東霊山で龍馬と中岡の神式の葬儀が海援隊・陸援隊合同で行われ葬られた。

下手人は、当初、真犯人の見廻組でなく、新撰組だと広く信じられた。なぜそうなったかは、明日説明する。

「龍馬の幕末日記① 『私の履歴書』スタイルで書く」はこちら
「龍馬の幕末日記② 郷士は虐げられていなかった 」はこちら
「龍馬の幕末日記③ 坂本家は明智一族だから桔梗の紋」はこちら
「龍馬の幕末日記④ 我が故郷高知の町を紹介」はこちら
「龍馬の幕末日記⑤ 坂本家の給料は副知事並み」はこちら
「龍馬の幕末日記⑥ 細川氏と土佐一条氏の栄華」はこちら
「龍馬の幕末日記⑦ 長宗我部氏は本能寺の変の黒幕か」はこちら
「龍馬の幕末日記⑧ 長宗我部氏の滅亡までの事情」はこちら
「龍馬の幕末日記⑨ 山内一豊と千代の「功名が辻」」はこちら
「龍馬の幕末日記⑩ 郷士の生みの親は家老・野中兼山」はこちら
「龍馬の幕末日記⑪ 郷士は下級武士よりは威張っていたこちら
「龍馬の幕末日記⑫ 土佐山内家の一族と重臣たち」はこちら
「龍馬の幕末日記⑬ 少年時代の龍馬と兄弟姉妹たち」はこちら
「龍馬の幕末日記⑭ 龍馬の剣術修行は現代でいえば体育推薦枠での進学」はこちら
「龍馬の幕末日記⑮ 土佐でも自費江戸遊学がブームに」はこちら
「龍馬の幕末日記⑯ 司馬遼太郎の嘘・龍馬は徳島県に入ったことなし」はこちら
「龍馬の幕末日記⑰ 千葉道場に弟子入り」はこちら
「龍馬の幕末日記⑱ 佐久間象山と龍馬の出会い」はこちら
「龍馬の幕末日記⑲ ペリー艦隊と戦っても勝てていたは」はこちら
「龍馬の幕末日記⑳ ジョン万次郎の話を河田小龍先生に聞く」はこちら
「龍馬の幕末日記㉑ 南海トラフ地震に龍馬が遭遇」はこちら
「龍馬の幕末日記㉒ 二度目の江戸で武市半平太と同宿になる」はこちら
「龍馬の幕末日記㉓ 老中の名も知らずに水戸浪士に恥をかく」はこちら
「龍馬の幕末日記㉔ 山内容堂公とはどんな人?」はこちら
「龍馬の幕末日記㉕ 平井加尾と坂本龍馬の本当の関係は?」はこちら
「龍馬の幕末日記㉖ 土佐では郷士が切り捨て御免にされて大騒動に 」はこちら
「龍馬の幕末日記㉗ 半平太に頼まれて土佐勤王党に加入する」はこちら
「龍馬の幕末日記㉘ 久坂玄瑞から『藩』という言葉を教えられる」はこちら
「龍馬の幕末日記㉙ 土佐から「脱藩」(当時はそういう言葉はなかったが)」はこちら
「龍馬の幕末日記㉚ 吉田東洋暗殺と京都での天誅に岡田以蔵が関与」はこちら
「龍馬の幕末日記㉛ 島津斉彬でなく久光だからこそできた革命」はこちら
「龍馬の幕末日記㉜ 勝海舟先生との出会いの真相」はこちら
「龍馬の幕末日記㉝ 脱藩の罪を一週間の謹慎だけで許される」はこちら
「龍馬の幕末日記㉞ 日本一の人物・勝海舟の弟子になったと乙女に報告」はこちら
「龍馬の幕末日記㉟ 容堂公と勤王党のもちつもたれつ」はこちら
「龍馬の幕末日記㊱ 越前に行って横井小楠や由利公正に会う」はこちら
「龍馬の幕末日記㊲ 加尾と佐那とどちらを好いていたか?」はこちら
「龍馬の幕末日記㊳ 「日本を一度洗濯申したく候」の本当の意味は?」はこちら
「龍馬の幕末日記㊲ 8月18日の政変で尊皇攘夷派が後退」はこちら
「龍馬の幕末日記㊳ 勝海舟の塾頭なのに帰国を命じられて2度目の脱藩」はこちら
「龍馬の幕末日記㊴ 勝海舟と欧米各国との会談に同席して外交デビュー」はこちら
「龍馬の幕末日記㊵ 新撰組は警察でなく警察が雇ったヤクザだ」はこちら
「龍馬の幕末日記㊶ 勝海舟と西郷隆盛が始めて会ったときのこと」はこちら
「龍馬の幕末日記㊷ 龍馬の仕事は政商である(亀山社中の創立)」はこちら
「龍馬の幕末日記㊸ 龍馬を薩摩が雇ったのはもともと薩長同盟が狙い」はこちら
「龍馬の幕末日記㊹ 武器商人としての龍馬の仕事」はこちら
「龍馬の幕末日記㊺ お龍についてのほんとうの話」はこちら
「龍馬の幕末日記㊻ 木戸孝允がついに長州から京都に向う」はこちら
「龍馬の幕末日記㊼ 龍馬の遅刻で薩長同盟が流れかけて大変」はこちら
「龍馬の幕末日記㊽ 薩長盟約が結ばれたのは龍馬のお陰か?」はこちら
「龍馬の幕末日記㊾ 寺田屋で危機一髪をお龍に救われる」はこちら
「龍馬の幕末日記㊿ 長州戦争で実際の海戦に参加してご機嫌」はこちら
「龍馬の幕末日記51 長州戦争で実際の海戦に参加してご機嫌」はこちら
「龍馬の幕末日記52: 会社の金で豪遊することこそサラリーマン武士道の鑑」はこちら
「龍馬の幕末日記53:土佐への望郷の気持ちを綴った手紙を書かされるはこちら
「龍馬の幕末日記54:土佐藩のために働くことを承知する」はこちら
「龍馬の幕末日記55:島津久光という人の素顔」はこちら
「龍馬の幕末日記56:慶喜・久光・容堂という三人のにわか殿様の相性」はこちら
「龍馬の幕末日記57:薩摩の亀山社中から土佐の海援隊にオーナー交代」はこちら
「龍馬の幕末日記58:いろは丸事件で海援隊は経営危機に」はこちら
「龍馬の幕末日記59:姉の乙女に変節を叱られる」はこちら
「龍馬の幕末日記60:「船中八策」を書いた経緯」はこちら
「龍馬の幕末日記61:船中八策は龍馬が書いたものではない」はこちら
「龍馬の幕末日記62:龍馬がイギリス公使から虐められる」はこちら
「龍馬の幕末日記63:イカルス号事件と岩崎弥太郎」はこちら
「龍馬の幕末日記64:慶喜公の説得と下関でのお龍との別れ」はこちら
「龍馬の幕末日記65:山内容堂に龍馬が会ったというのはフェイクニュース」はこちら
「龍馬の幕末日記66:坂本家に5年ぶりに帰宅して家族に会う」はこちら
「龍馬の幕末日記67:龍馬は大政奉還を聞いて慶喜公に心酔などしてない」はこちら
「龍馬の幕末日記68:大政奉還ののち西郷らは薩摩に向かう」はこちら
「龍馬の幕末日記69:新政体について先手必勝で動かなかった慶喜のミス」はこちら
「龍馬の幕末日記70:福井で「五箇条のご誓文」の作者三岡八郎と語る」はこちら
「龍馬の幕末日記71:徳川慶喜が将軍を引き受けるまでの本当の話」はこちら
「龍馬の幕末日記72:将軍慶喜がめざした日本の姿」はこちら
「龍馬の幕末日記73:慶喜と会津・江戸の幕閣との思惑の違いが明確に」はこちら

「龍馬の幕末日記74:どうして会津は京都守護職を引き受けたのか」はこちら
「龍馬の幕末日記75:どうして会津藩には京都守護職など最初から無理だったのか」はこちら
「龍馬の幕末日記76:会津の京都守護職6年間を総括する」はこちら
「龍馬の幕末日記77:江戸幕府でなく孝明天皇に忠誠を尽くした迷走」はこちら
「龍馬の幕末日記78:高松宮家の財産が徳川家の人々によって相続された事情」はこちら

「龍馬の幕末日記79:新撰組が京都市民から嫌われた当然な理由」はこちら
「龍馬の幕末日記80:京都市民の支持は新撰組でなく志士たちに集まる」はこちら

「龍馬の幕末日記81:遊里で金払いが悪いのも会津不評の原因になった」はこちら
「龍馬の幕末日記82:慶喜の一人芝居の影でドツボにはまった会津」はこちら
「龍馬の幕末日記83:会津から駿河にお国替えする案が浮上」はこちら
「龍馬の幕末日記84:大政奉還で茫然自失の会津藩」はこちら

「龍馬の幕末日記85:「新政府綱領」の○○○は慶喜なのか」はこちら
「龍馬の幕末日記86:近江屋事件前日の焦点は「慶喜が何百万石朝廷に出すか」だった。」はこちら
「龍馬の幕末日記87:龍馬は藩内佐幕派による暗殺が怖くて藩邸には入れなかった」はこちら

「龍馬の幕末日記88:三島由紀夫の高祖父・永井尚志がキーパーソン」はこちら
「龍馬の幕末日記89:暗殺犯・佐々木只三郎の一族は明治日本の名門に」はこちら
「龍馬の幕末日記90:松平容保がついに龍馬暗殺を指示」はこちら