※編集部より:本稿は、八幡和郎さんの『坂本龍馬の「私の履歴書」』(SB新書・電子版が入手可能)、『「会津の悲劇」に異議あり【日本一のサムライたちはなぜ自滅したのか】』 (晋遊舎新書 S12)をもとに、幕末という時代を坂本龍馬が書く「私の履歴書」として振り返る連載です。(過去記事リンクは文末にあります)
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坂本龍馬を捕縛ないし殺害するようにという指示を京都公用人・手代木直右衛門に出したのは、手代木の遺族がまとめさせた『手代木直右衛門伝』において、「某諸侯の命」とし、編者は弟の桑名藩主で京都所司代の松平定敬が命令者でないかとしている。普通に考えれば、松平容保に思えるが、もしかすると、神経質な兄にかわって弟がそういう案件は決断を下していた可能性はなくもない。
あるいは、「某諸侯の命」と手代木があえてぼかすためにいったのを、容保ならそんな呼び方を容保にするはずないと思っただけかもしれない。
いずれにせよ、命令は容保か定敬から手代木直右衛門に下り、手代木は実弟である旗本で剣の達人である佐々木只三郎に、犯行命令を下した。佐々木は旗本だから、近藤勇などとは身分が違うお偉いさんだ。
佐々木は手下に自宅への招集をかけた。15日の午後のことである。メンバーには諸説あるが、今井信郎、渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂早之助、土肥仲蔵、櫻井大三郎で、佐々木から龍馬を捕縛ないし斬り捨てることが命令された。
午後2時になって、七人は近江屋に向かった。桂早之助が名を偽って面会したい旨をいったが、龍馬は福岡藤次を訪ねて外出中である。
仕方なく、東山方面を散策しながら時間を潰した。龍馬も間もなく帰ってきて、そこに陸援隊の中岡慎太郎がやってきて話し込んだ。新撰組を出た伊藤甲子太郎がやってきて二時間ほど留まる。
伊藤は新撰組や見廻組が龍馬を狙っているので土佐藩邸に移れと強く言ったが龍馬はしんらんぷりで中岡が「かたじけない」といったのみ。永井尚志と話が通じてもう大丈夫だと思ったらしい。伊藤は高台寺に帰って、「自分が元新撰組だから信用してくれないが危ないことだ」と嘆息した。
そこへ下横目の健三郞が来たので、しばし懇談するうちに、龍馬は腹が減って、軍鶏を食いたいという。中岡も同調し、健三郞も誘うが他に用があるといって断るが、龍馬は軍鶏を買いに使いを出した。
そのあと、河原町市場下がるの薬種商・板倉筑前介が訪れ梅椿図をプレゼントして、龍馬は床の間に架けたようだ。
午後八時ごろ、雨も上がってなんとなく緊張感が緩んだころ。六人の手下を従えた佐々木只三郎が表から店内の人を呼んだ。「松代藩のものだ」といったとか「十津川郷士だ」といったとかいうが分からない。いずれにせよ名刺を出して、龍馬に面会を求めた。
応対したのは元力士の藤吉だが、うかつにも、下で彼らを待たせずに、二階へ上がって龍馬のいる部屋に向かった。佐々木は下で待っていたのだが、ほかのものが着いてくるのを咎めなかったらしい。二階で龍馬がいる部屋に行くには、二つの部屋を通らねばならなかったが、二つ目の部屋まで彼らは上がってしまった。
そこから藤吉は龍馬に声をかけた。龍馬がいると確信した三人の刺客たちは、藤吉を斬り、襖をあけて押し入った。
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