龍馬の幕末日記93:薩摩藩・紀州藩など龍馬暗殺陰謀論さまざま

八幡 和郎

※編集部より:本稿は、八幡和郎さんの『坂本龍馬の「私の履歴書」』(SB新書・電子版が入手可能)、『「会津の悲劇」に異議あり【日本一のサムライたちはなぜ自滅したのか】』 (晋遊舎新書 S12)をもとに、幕末という時代を坂本龍馬が書く「私の履歴書」として振り返る連載です。(過去記事リンクは文末にあります)

陸奥宗光 Wikipediaより

近江屋での坂本龍馬と中岡慎太郎暗殺については、新撰組犯行説のほかにも、いろいろユニークな説がある。

たとえば、紀州藩出身で海援隊士のは、自分の紀州藩が関与しているのでないかと疑った。イロハ丸事件の恨みというわけだ。紀州藩公用人の三浦休太郎と新選組が共謀したという噂もあったようだ。

三浦が海援隊隊士らに襲撃され、護衛していた新選組と戦ったのが天満屋事件である。たしかに、紀州藩に動機はあるがそれ以上の話ではなかった。

見廻組が実行犯であることを前提としつつということで、勝海舟はそれに指示したのが、伏見の寺田屋で龍馬を逮捕しようとして配下の者がピストルで撃たれた榎本対馬が黒幕と考えたし、見廻組の形式的なトップである小笠原河内守が指示したのでないかという疑いもかけられたことがある。

それから、土佐藩のなかで龍馬が大きな顔をするのが許せない勢力によるとの説もあるが、気に入らないといっても、リスクをおかして暗殺するというには飛躍がある。

しかし、これらは、会津藩京都公用人の手代木伝右衛門が指示したことを認めている以上は価値がなくなった。

さらに、執拗に唱えられるのが、薩摩藩黒幕説である。龍馬が倒幕に反対だったことなどないが、慶喜を取り込む工作をしていたのは事実であり、それを嫌ってのことだというのである。

小松帯刀 Wikipediaより

倒幕派でも長州は京都にいなかったから薩摩といっているわけだ。薩摩のなかでも、保守派はともかく、比較的穏健派の小松帯刀などと急進派の西郷や大久保には若干の温度差があるし、龍馬が小松らにニュアンスが近かったくらいは真実だ。

しかし、繰り返し言うように、龍馬は妻のお龍を下関に棲ませているほど長州とべったりである。穏健派といっても長州サイドの人間で、長州に裏切り者だといわれるようなかたちでの新政府構想は龍馬が推すはずがないし,推せるはずもない立場だ。

それを殺す理由もないし、まして、急進的な倒幕派の中岡慎太郎を一緒に殺すことになんのメリットもない。大政奉還で慶喜に心酔したなどと言うのは小説の読み過ぎだ。

むしろ、後藤象二郎との比較で言えば、龍馬ははるかに強硬な倒幕派であって、そっちを疑う方が、よほど気が利いているが、それもありえない。

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